豚の徒然

住所不定無職の豚が日々を綴ります。

シェアリング時代

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この間寿司屋行ったときに思ったけど、「一個ちょうだい」って時代の流行かもなぁ。

 

 

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続き

 

友達の家にはお兄ちゃんがいて、クリスマスとかになるとその家のお兄ちゃんは「俺はゲーム機のハードを買うから、お前(その友達)はソフトを買って、妹は○○のソフト買って…」見たいな感じでシェアを前提にサンタに頼んでいたそうだ。

 

それって子供ながらに「ゲーム機一人一台は流石にサンタ(親)もくれないだろう」みたいな子供なりの戦略なんだと思うけど、なんだか時代の流れはどうもシェアリング時代なのかもって凄い感じる。

 

例えば、

・一人で住むには手持ち無沙汰になる可能性があるし都市部は家賃が高い→シェアハウス

・都市部のマンション住みでクルマは頻繁には使わないし駐車場代も高い、でも大きい買い物の時にはクルマを使いたい→カーシェアリング

みたいな。

 

塾のアルバイトで生徒(高校生)が「お年寄りがお金溜め込んでるからもっと使わなあかんし、たくさんモノ作って、たくさん買えばみんな儲かる!」みたいなこと言ってて、そういう考えって凄い少数意見なような気がした。(高校生相手に言っても仕方ないけど)

 

確実に「大量生産、大量消費」の時代って終わったし、モノで溢れ返った現代には通用しない。「限りある資源を、可能な限り、シェアしながら使用する」そういう新しい消費時代にもう突入したんだと思う。

 

たくさんお金を稼いで、たくさんモノを買ってとかっていう豊かさってもう古いしナンセンスだってもう今の若者は気づいてると思う。公務員の倍率が上がってるのがそのいい例。みんな裕福になりたいとか金がたくさん欲しいっていうよりは「危ない橋を渡らずに、安泰な一生を送りたい」っていう風に考えてるんじゃないかな?

 

俺自身クルマは欲しいけど、大きな家とか高い買い物をしたいなってあんまし思わない。しかもクルマは安ければ安いほどなお良いし、服とかも古着のほうが安くてかわいいのがいっぱいあるし断然そっちの方が良い。今持ってる服とかもほぼ古着だし。

 

今の若者に夢がないっていう批判は的外れで、むしろ繁栄することだけを追い求め続けた高度経済成長期を生き抜いた人よりも本当の意味で豊かなんじゃないかなぁ。金が無くても満足できるし、楽しいこととかモノを見つけられるっていう点では。

 

こういう考え方って日本に古くからある「もったいない」っていう考え方が似てるよね。(そういう指摘ってずっと昔からされてるけど)江戸時代って壊れたらそれを直す仕事をしている人がいて、例えば鍋とか底が抜けたら補修してくれるみたいな。その時代のシェアリングについてはよく分からないけど、「使えるモノを可能な限り使う」っていうマインドは少なくとも日本人はもってたはず。

 

それをなんで忘れちゃった、ってか今更、欧米人に倣ってるのか。美しい国(アメリカ)に追いつけ追い越せで繁栄を追い求め続けた戦後。資本主義のおつりが今まさに払われているんですな。

 

俺も将来的には田舎の家とかをリノベーションして、ボロイ軽トラとか修理して家具とかもDIYで作ったもの使って物書きの仕事をノマドでやりながら老後過ごしたい。石垣島とかで。

 

テスト期間はこういう妄想が捗りまくるなー。いかんなー。テスト終わってから書こうって思ってたけど、つい気晴らしに書いてしまった。まだまだ妄想してることがたくさんあるんだけれど、それはテスト終わってからにしよう。ってかやっぱり文章ってMUSTになると書けないけど、ふと「書けるな」って思い出し始めると次々と言葉がでてくるもんだな。レポートもこの調子で書けたら苦労しないのに。

 

ではでは。